「涙」は人を支える

何か嫌なことがあったり、逆に嬉しすぎることがあったり、どんな感情であっても気持ちが高ぶると人は涙を流す。

そしてその後、人によって時間のばらつきはあれど、沢山の涙を流すと不思議と気持ちが落ち着いたりする。

 

「涙」は、「さんずい(水)」に「戻る」と書く。

この「涙」という言葉の語源は様々にあるが、私の個人的な解釈としては、「感情を水として出すことで日常生活を取り戻す」と考えている。

言葉として表すと少し堅苦しい解釈だが、私の中では一番腹落ちする解釈なのである。

 

人は日常生活を生きる中で、大小問わず、あらゆることに感情を持つ。

うまくいかないことがあれば苛立つし、何かをやり切って結果を出せば喜んだりもする。

その感情のほとんどは、時間とともに薄れていくか、知らず知らずのうちにその人の中に少しずつ蓄積されていく。

この蓄積された感情がいっぱいいっぱいになるか、もしくは急に大きな感情が湧き出た時、人は涙を流すことになる。

 

人は皆、常に何かしらの感情を持っている。

でも、その感情の度合いは適度でなければ、人は自分をコントロールしきれなくなる。

だからこそ人は、適度に自分の中の感情を自分の外に置いていくのである。

「置いていく」と表現すると違和感を感じる人も多いだろう。

普通は「吐き出す」というのだろうし、その方が何となくわかりやすくなる。

 

私は以前の職場で、心無い言葉を言われたことがある。

職場に自分の存在意義を求めていた当時の私は、とにかく悔しくて悲しくて、職場から帰る道中、泣きながら運転していたのを今でも覚えている。

しかし、ある程度思いっきり泣いてしまったら、気持ちは落ち着き、冷静に次のことを考えるようになった。

泣いている間は「もうどうでもいい」と思い、仕事をする気をなくしていたはずなのに。

溢れ出る感情を、日常的に過ごす車中での日常的な時間や空間に水として出して置いたことで、私は日常生活を取り戻すことが出来たのだ。

 

「涙」は、人が日常を取り戻すためのもの。

何度涙を流しても、気持ちが晴れないことも当然あるだろう。

それほど大きな感情を詰め込んでいるのだから、その時は何度泣いてもいい。

一方で「涙」は、嬉しいとか楽しいとか、プラスの感情さえも落ち着かせることがある。

それは悪いことのように感じるかもしれないが、人にとってはとても大切なことだ。

人は気持ちが高ぶりすぎると、適切な判断が出来なくなってしまうことがある。

だからこそプラスの感情さえも、行き過ぎてしまった場合は、抑えて日常を取り戻すことが必要になるのだ。

 

感情があるからこそ、人生は楽しい。

ただ、感情に任せた行動は適度である必要がある。

面白い、わくわくする、夢のある生き方は、感情とうまく付き合った上に成り立つ。

その手助けをしてくれるのが「涙」なのである。