「人との出会い」が生き方を変える

歳の割に大人びている人と、反対に歳の割に子供っぽい人はどちらも存在する。

見た目の問題である場合もあるが、ほとんどの場合は、その人の性格や言動に起因するものが多い。

 

大人びた性格と子供っぽい性格の分かれ目は、一体どこにあるのだろう。

私はよく、「落ち着いてるね」とか「大人びているね」といった言葉をかけられる。

それは幼い頃からで、それが理由でいじめられたこともあった。

もちろん自覚はないので、自分がどれだけ大人びているのかということはわからない。

そもそも自分では、自分のことを子供っぽいと思っているから、分からなくて当然だろうと思う。

 

ただ個人的に、この大人びているとか子供っぽいとか、そういった性格、人格を作り上げているのは、その人が出会った「人の数」で決まると思う。

多くの人と出会い、たくさんの会話や情報交換を行うと、幅広い知識や考え方、生き方に触れることになる。

世の中には驚くほどとびぬけた生き方をしている人もいるが、そういった人に出会うことが多いほど、自分自身の人間性も少し厚みを増していく。

そうすると、自分にとっての「普通」の幅が広がっていくので、大体のことに対応できるようになるし、何事にも慌てることがなくなる。

それこそが「落ち着き」につながり、それが大人っぽさを作り出している。

 

世の中には、いくつになっても子供っぽい考え方しかできない人がいる。

多くの知識を身に着け、それなりの経験をすれば、多くの人と出会わなくても確かに知識武装を行うことができ、物事を理解することもできる。

しかしその理解は、あくまでも机上でのもので、事実をそのまま解釈するだけにすぎない。

多くの人と出会い、多くの人生観や考え方などに触れると、目の前にある事実に少し肉付けを行ったうえで理解するということが出来るようになる。

そうすれば、生きることはもっと楽しくなるはずなのである。

 

人との関わりが少ない人は、時に臆病である。

そして、傷つくことや壁にぶつかる経験も乏しいことが多いので、ちょっとしたことに傷つき自分の殻に閉じこもりがちになる。

そうなると、次にやることは決まって、周りへの攻撃的な態度をとるのだ。

そして、ますます人との関わりやつながりを失い、気付けば孤立しているということはよくある。

とてももったいないことをしているとしか言いようがない。

 

年齢を重ねても、自分の意見や思いを言葉に出来ない人がいる。

そういう人の多くは、自分を大きく見せることに精いっぱいになり、ただただ周りに敵を増やしているだけにすぎない場合が多い。

 

大人になれとはいわない。

ただもっと多くの人とふれあい、広い心をもつほうが生きることは何倍も楽しくなる。