私が考える「作家」と「ライター」の違い

あなたの好きな作家は誰ですか?

私は、どちらも小説家だが、唯川恵さんと東野圭吾さんだ。

 

では、好きなライターは誰ですか?

ライティングの仕事や、ライティング関連の趣味などがある人にとっては、簡単な質問である。

ただ、そういったことに興味がない人達にとっては、好きな作家は?という質問に比べるととてつもなく難しい質問になる。

なぜなら、ライターの場合は、「誰が」というよりも「どのような内容か」を重視する人が多いからだ。

 

つまり、「作家」は作家自身が全面に出るが、「ライター」は自分の存在を主張しない。

それが私の目線で見た、「作家」と「ライター」の違いである。

 

 

仕事の関係で、一度、プロのライターさんの取材に同行したことがある。

私にとっての興味は、取材対象以上にライターさんの方だったため、ライターさんの言動を目で追いかけ続けた。

 

しかし、いざ取材が始めると、自分の中での自分の変化に気付いた。

私にとって興味の中心となっていたはずのライターさんよりも、取材対象に魅かれていた。

それはもちろん、取材対象者の人間性や人となりが素晴らしかったというのも理由の一つだが、もう一つ理由がある。

それは、ライターさんの取材対象者を引き立てる力が素晴らしかったからだ。

 

そう気づいたとき、私はますますライターという仕事に魅了されていた。

 

 

オリジナリティのある視点や、自分の独特な切り口で言葉を綴るという点では、ライターも作家も同じかもしれない。

 

ただライターは、そういった自分の色を強調するというより、正確で的確な情報を伝える方に重きがある。

事実を伝えるためには、文章力も当然必要ながら、情報や取材対象を引き立てる力も重要になる。

 

 

私はライターになりたいと明言している。

しかし、ライターと作家の仕事を先に述べたようなに定義してしまうと、自分のやりたいことを「ライター」と限定することが難しくなる。

 

記事を書く上で、私は自分が主役である必要はない。

記事を読んだ人にとって、ちょっとした新しい発見ができたり、ふと考えさせられたり、自分を振り返るきっかけになったりする。

そんな記事を書きたいと常々思っている。

 

ただ同時に、私は頭の中で、いろいろな人生を思い描くのが好きだ。

それは「自分」としてではなく、自分とは違う「誰か」の人生である。

そういった様々な色の人生を「物語」として表現したいという思いもある。

そう考えると、ライターとはまた違うのかとも思う。

 

「作家」と「ライター」を定義することは出来る。

ただ、両者を全く別物として考えるのは、なかなか難しいようにも感じる。

両者の違いを理解することについては、私にとって一生の課題となりそうだ。